なんでもドラマ化すればいいってもんじゃない。

こちらこの記事を読んで知ったのが、このニュース
確かに大きな事故でした。風化させてはいけないと思います。
遺族・被害者の家族の気持ちがどうのとかじゃなく、ドラマ化してなんの意味があるのか、と思います。
事故原因としては、異常なまでに過密に作られたダイヤなんでしょうし、オーバーランによって遅れてしまったダイヤを回復しようと無謀な速度で走った運転士の問題もあると思います。それが全てだとは思いませんが、事故原因の大半を占めていると思います。それを今になってドラマ化する意図がわかりません。

フジテレビ編成部の吉田豪氏はその理由を「故人の軌跡を形に残しておきたいというご遺族の意思と、事故の再発を防ぎたいという思いから企画した」と説明。「取材を通して見えてきた家族の絆は心を揺さぶる話ばかりで、何としても映像に残しておかなければ、という義務感に近い思いに突き動かされた」と熱い思いを語った。

個人の奇跡を残しておきたい気持ちはわかりますが、そういったものは、遺族の中で残しておけばいいと思いますし、事故の再発防止に向けての取組は、JR西日本側でもやってるでしょ?事実、この間のダイヤ改正では、初めてダイヤ改正で時間が延びたんですから。結婚式の披露宴のビデオじゃないんですから、何としても映像に残しておかなくてはいけないものなんでしょうか?残っている映像なら、事故発生から撮ってきたニュース映像があるでしょ。
あと、ドラマ化以上に気になった文がこれ。

ドラマの間には、事故現場の映像や悲劇を乗り越え懸命に生きる現在の実際の家族を追ったドキュメンタリー映像も織り込む。スタジオの番組進行を小倉智明(58)と高島彩アナ(27)が務める。

小倉氏の言ってることは時々、理解に苦しむ時があります。ダイヤが秒単位で設定されているとか、カーブの半径が小さすぎるんじゃないのかとか、言いがかりとも取れてしまうような感じの事を言ってくるんじゃないのかと思います。
ダイヤなんていうものは、もともと秒単位で設定されているものなんですよね。それを知っている人が少ないだけで。また、カーブの半径が小さいから、カーブの進入速度が決められているんですよ。それを守らなかったから脱線・転覆したんであって。

こんなニュースも報道されていました。フジのスーパーニュースを見ていたときに見たんですが、その時西山アナが「JR西日本の安全意識は?またこのニュースを知った遺族たちは?」みたいな感じの原稿を読んでいました。アホくさくなってテレビのスイッチを切ったので、それ以降どのような感じで報道されていたのかわかりませんが、この指導運転士の居眠りと、福知山線の事故とは全く関係のないもの。JR西日本の安全意識がないわけではないと思います。実際に運転していた運転士も、ちゃんと試験をパスして列車を運行しているわけなんですから、そう簡単に事故なんて起きるもんじゃありませんって。間違わないで欲しいのは、私は指導運転士の居眠りを容認しているわけじゃないって事。指導運転士はそれ相当の処罰を受けるでしょうし、それはあってしかるべき。ただそれをすぐに福知山線の事故につなげてしまう報道の仕方は違うんじゃないのかと思うのです。

福知山線の事故のドラマ化。フジテレビ側は「個人の奇跡を形に残す」とか、「事故の再発を防ぎたい」とか、カッコいいこと並べてるように思いますが、要するにそれを利用して金儲けしているだけ。ああいった悲惨な事故をドラマ化する必要はないと思いますし、映像に残したいのなら、「なぜ事故は起こったのか」や「防ぐ方法はなかったのか」といったドキュメント的な形での映像化でいいと思うんですけど、こういった考えって少数なんですかね?